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zoom RSS 「フルスイング」見てくれてますか?

<<   作成日時 : 2008/02/09 21:32   >>

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NHK−ドラマ「フルスイング」見てくれてますか?



こちらに番組の掲示板があります。よろしかったら読んでみてください。



http://www.nhk.or.jp/dodra/fullswing/html_ful_bbs.html



今日で4回目の放送が終わります、あと2回の放送。



いよいよ…。



http://www.nhk.or.jp/dodra/fullswing/index.html



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「高林導宏」…(幸せとは何なのだろう)



岡山県立岡山南高等学校、丸善石油、中央大学、日鉱日立を経て、1967年11月に、南海ホークスからドラフト5位指名を受けてプロ入りを果たす。尚、大学四年生の年のドラフト会議でも巨人軍から5位指名を受けている。ノンプロ全日本四番打者の実績をひっさげて入団した、南海では、左の強打者として新人王をも期待されるが、春季キャンプでのスライディング練習の際、左肩を脱臼してしまい、以後のプロ生活に暗い影を落とすこととなった。



1968年のシーズンは、開幕戦から六番ライトで先発出場を果たし、三打数一安打と、プロ野球選手として上々のスタートを切ったが、怪我の影響で、1年目は公式戦出場26試合、ヒット5本に止まった。1969年のシーズンも打率一割台と低迷する。 野村克也が兼任監督に就任すると、代打の切り札として起用されるようになり、1970年と1971年は、打率3割以上を記録し期待に応えた。



故障の悪化により1972年限りで現役引退。



引退後、1973年に野村監督に研究熱心さを買われ、29歳の若さで打撃コーチに抜擢される。オールスターゲームで野村が捕手に専念する年(かつ前年にチームがAクラスだった場合)は、野村に代わってパ・リーグのコーチを務めた。



しかし1977年、野村監督解任に伴い江夏豊、柏原純一と共に球団に反旗を翻し、選手専念となった野村と共にロッテオリオンズに移籍。野村はわずか1年でロッテを退団するが、高畠はその後もロッテに残り、1988年までの12年間で落合博満をはじめ水上善雄、西村徳文らを育成。選手から多大なる信頼を得る。



1990年には野村のヤクルトスワローズ監督就任に伴いヘッド兼打撃コーチとしてヤクルト入団。しかし野村との確執が生じ、この年限りで退団。その後福岡ダイエーホークス(1991年-1994年)、中日ドラゴンズ(1995年-1997年)、オリックス・ブルーウェーブ(1999年-2000年)、千葉ロッテマリーンズ(2001年-2002年)と、延べ7球団で約30年間打撃コーチを務め、数多くの打者を育て上げるなどの実績を残した。



1998年、中日で調査役をしている間に日本大学の通信課程に入学、教員免許を取得。2003年春より福岡県筑紫台高等学校の教員になり高校野球監督を目指していたが、2004年、膵臓癌のため60歳の若さで死去。叶わぬ夢となった。







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